平成27年6月議会質問原稿2 (H27.6月)


 平成27年6月議会質問原稿 
先だって議員研修として先進地視察を行ったところであります。
久礼新港背後地事業の参考事例として先駆的な「道の駅」事業を視察したところですが、感じた事は、成功事例は、一つは流通に長けた者、一つにはマーケティングの意味を十分に理解し実践している者がいるということでした。背後地事業もいかなる規模や内容のものであろうとも畢竟は人、これに尽きると思うところです。道の駅的事業で地産外商は地方創生の手法として全国1800自治体の狙いとするところで、横並びになり、失敗の可能性が大きいと思われるところであり、地域振興公社に販売戦略を打ち立てれる、そういう人材がいればいいですが、いなければ町外を含めそういう人材を早急に確保し、共に将来構想を作成すべきだと思うところです。行政報告の中でも触れられたところですが、まち・ひと・しごと創生総合戦略の核施設として位置付けされ、町全体を売り込む機能を持つ情報発信の中心的拠点として、メディア等を活用した宣伝、新商品開発、顧客のマーケティング活動等を実行できる体制づくりと統率する人材確保の重要性を述べられており、まさに町の商品を戦略的に情報発信し外商活動を行う組織と専属職員の確保について提案されていると思うところで?
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町長、今回、提案する事業予算については政治生命をかけて不退転の決意で臨むべきだと思いますがご所見をお伺いいたします。

教育問題についてお伺いいたします。
中土佐町では学校現場で、国旗国歌に対する教育は、正しく行われておられるところで、敬意を表したいと思います。
ところで、孫が高知市内の公立小学校に入学したことから入学式に出席したところですが、その学校では残念な事に国旗はどこにあるか分からず、国歌斉唱もBGMでした。こういうのは本来国民として教えられるべき教育の否定であり、一部の過激な思想家たちのイデオロギーに基づき教えないと言うことで教育権の濫用であり、教員の意図的な不作為行為というべきもので、子供達にとっては正しい教育を受ける権利の侵害であり、誤った国家観を植え付ける洗脳教育だと思うところです。中土佐町はどのように指導しているのか、教育の在り方、理念について教育長にお伺いいたします。
そこで、教員とおぼしき若者がビラを配っておりました。内容に「入学式をはじめとする学校行事や教育課程は、主人公である子供達と教職員が協力して決定していけば良い」と最初に書かれていました、教育長はこの主張にはいかがお考えか。私は、教育の主人公は子供でもなく教職員でもないと思います。日本国民と生まれた以上、日本国民として193か国のせめぎあいの中でいかに生活していけるのかそのノウハウ、知識を教える事であり、人として先人の知恵や徳を学び品性を養う事だと思うところで、決して子供が主人公という短絡思想ではないと思うところであります。

次に、全国学力・学習状況調査が4月21日に全国の小学6年と中学3年を対象に実施されたところですが、中土佐町の結果はいかがだったでしょうか、学力向上の取り組みの成果は得られたでしょうか。私は今の教育は、田舎の振興に即していないではないかと大学教育を受けてきたものとして感じているところです、多額の学費を投じて良い大学に行かせてその挙句、県外に就職して、そのままそこに居つく、というパターンが多くなっています。教育の基本として日本国に役立つ、中土佐町に役立つ人材を育成するのが目的だと思うところです。
教育長、中土佐町を放棄する子供を育てる、自由の名の下に、こういうやり方を現行教育は結果として生み出していますが教育長正しいでしょうかお伺いいたします。

次に、5月8日に村田晃嗣同志社大学学長の講演「グローバル時代の教育と地域」を拝聴する機会を得たところで、講演で、グローバル時代は、順位を付ける縦のグローバル化と多様性を求める横のグローバル化があり、宗教を理解する必要性を述べられ、世界は宗教で動かされており、無宗教であるかどうかに関わりなくその原理・本義を知ることはグローバル時代には重要という事を言われた訳ですが、日本は政教分離の強固な国で至難の命題だと思います。が、宗教教育は、宗教が何たるかを学ぶためにも大変重要な課題だと思います、宗教教育は事の善悪を問うもので道徳教育に通じるものがあると思います。日本人は一般的に無宗教だとされ、それが時代のトレンドの如く振る舞う人もいますが、国際的には決して望ましい事ではないことは言うまでもないことで、無宗教は無神論につながり未開の世界の人、文明社会の人間でないという事でその人格を疑われるのが世界の常識です。そこで、お伺いいたしますが、グローバル時代に対応できる子供達を育てていくためには、宗教に関する知識や理解を高める教育は必要ですが、どのように取り組まれるお考えかお伺いいた?
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町内を回っていましてこういう声を度々お聞きします。
行政は私達の声をどのように反映しているのか、と。私も行政職職員でありましたから、一定、言われるところの状況は理解できますが、一般職公務員から特別職に身分が変わって地域を回らせていただいておりまして、そこでお聞きする中で私なりに解釈するのは、国会で制定された法律とそれに基づいた制度の執行だけでは、住民のニーズや思いが届かないという事であります。これは行政に携わり、かつ政治家になった者しか分からない感覚であろうかと思いますが、町として住民ニーズの把握とその施策化をどのように考え、かつ、遂行されているのかお伺いいたします。
次に、町長部局と教育委員会を代表して総務課長と教育次長にお聞きします。町長が議会で答弁した、取り組む、もしくはやると回答した事項について、行政としてどのように進めて行くのかお伺いいたします。
議会答弁は、最高の、「公」です。最高の意思決定です。昨年2月に議員となって中土佐町の政治を見る立場になりましたが、議会の意思決定が十分に執行されていると言うふうには、失礼ながら、感じられにくいように見受けられます。
行政執行は、町長だけではなく補助機関としての職員が委任されて実務的に遂行するのが日本国の定める行政機構ですが、「公」とは何か、その推進とは何か、町長の補助機関としての課長の役割とは何か、それぞれにお伺いいたします。

また、こういう声もいただきました。
「佐竹さん、中土佐の三十歳の若者の給料知っていますか、13万円程度ですよ」と。私は、高知県の県民所得は、月額約19万円程度の統計で物事を見ていましたから、意外な感想を持ったところです。町長、この金額は妥当な数値ですか。で、若者が結婚できない、子供を造れないのは給料が低いからだと言われました。その主張は中土佐町では正解ですか、お伺いいたします。かつて「貧乏人の子沢山」ということわざがありましたが、もはや死語でしょうか、国民所得が低い新興国の出生率が高いのは別の要因でしょうか。お伺いいたします。低所得が出生率の要件であるなら、所得向上計画を策定すればいい話ですから事は簡単だと思うところです、お伺いいたします。子供の出生率向上に中土佐町としての取り組みはどのように進められているのか、お伺いいたします。

上ノ加江の防災について二点お伺いいたします。避難道の整備は一定進められていますが、避難タワー整備についてなぜ久礼に二つできてまた三つ目もできるのに上ノ加江は一つもできないが、議員これはどうなっちゅう、というご意見をいただきます、考えてみれば当たり前の事で避難困難者がいるのに避難タワーがないというのは素朴な住民の思いです。中土佐住民に上下や尊卑はありません、上ノ加江の整備方針についてお伺いいたします。また併せて港の堤防について、堤防補強工事として両側に杭を打ち込み津波に備えてほしいという事を陳情されました。安心安全の上ノ加江のまちづくりの推進にとっても必要と思われるところですが、町長の取り組み姿勢についてお伺いいたします。

4月24日、歴史的建造物や伝統芸能等の文化財を「日本遺産」として文化庁が認定した第1弾に四国遍路が選定されました。「自分と向き合う心の旅、世界でも例を見ない巡礼文化」というストーリーが評価されたという事であります。が、如何せん我が中土佐町には88か所がありません、その代わりと言っては何ですが、確かに、お遍路はあったという歴史記録があります、天正19年の銘の入った石碑です。そこでお伺いいたします、町独自に観光資源としてどのように地域活性化に向け取り組む積もりかお伺いいたします。土佐の生んだ世界的ブランドの維新の英雄、坂本龍馬は、失礼ですが、ただ通ったというだけで、地域おこしの資源に活用している例もあります。添蚯蚓は遍路墓もあり遍路は確かに中土佐町を通り、ここにその印を刻んだのです。何かしらの思いが室町の時代にその人はあったのです、まさに、「心の旅」のモニュメントです。龍馬が中村に向かう際にこの道を踏み、空海が修業したと伝わる海月庵の遺跡もあります、他市町村に先駆けた有効活用の手だてについてお伺いいたします。

次に、木材の活用についてお伺いいたします。私の個人的体験で恐縮ですが、二年前に古里に帰り、父祖伝来の土地の管理を行っているところで、過日、家の周りの山林の下草狩りを行いましたが、10数年、手入れしていなかったためか、羊歯が繁殖し、3メートル以上に伸び、密林の如く絡み合いまるでジャングルの様相を呈していました。熱帯地域かとも思う状況でした、そして竹が異常なほど増えていました、私の子供時代には見られない風景でした。山林作業の重労働はさることながら、山林放棄地の荒廃には凄まじいものがあるなと感じたところです。一言、「金にもならないものに何の手入れか」であろうかと思います。皆、土地を一生懸命守ろうとしているのですが、一銭にもならない、です。で、山林管理に手が及ばない、悪循環です。ですが、山は財産です、森林は財産です。財産として有効活用すべきです。
そこで、提案ですが、間伐材等を原料にした木質バイオマス発電を、一つは宿毛市の「グリーンエネルギー研究所」、もう一つは高知市仁井田の「土佐グリーンパワー」の県内の2施設で稼働されたところですが、ここに町内の材木を提供し、小遣い銭程度からでも収入源として活用できるように取り組むべきではないかと思うところです、町長の見解をお伺いいたします。まず手始めから、発電所視察から情報収集もいかがでしょうか。


[第2問]

「公」とは私を塞いだもの、と言われます。公のムは釘の曲がった状態、邪な心を表しているという事だそうで、私の禾は穀物、稲や麦を意味し、農作物は灌漑など共同作業で生み出されるものですが、邪な心が付くと「みんなのものを」を私化することになる、ということで、公は、邪な心を抑えるという意味を持つのだそうです。公共性という事でありますが、今、新しい公共という理論もありますが、「公」の遂行は必ずしも、行政職職員だけの業務ではない事は明らかです。
そうした中で、霞が関が制度設計したものを行うだけではないということも明確だと思います。公務員の担当する仕事のみが「公」ではないのです。そういう意味で新たな公としての分野も含めて「公」に当たっていただきたいところです。
行政職員は、従前は、今でもそのように考えている職員もいますが、細分化された仕事にのみ従事するのではなく、「公」ということを探ってみると、公務に従事する事の基本は、法律や制度を縦横に駆使し、本来行うべき住民福祉の向上に対するマネージメントだと思います、その基本に則っていない事に問題や課題があると思います。死語になってはいますが、「官尊民卑」の発想ではだめだと思うところです。

木質バイオマスですが、木材の活用も発電のほかにも、建設コストや、費用対効果等によっては、久礼新港背後地事業の凍結している温泉のボイラー重油に代わる熱源としての活用も可能ではないかと思うところで、検討していただきたいと思います。


宗教教育ですが、特定の宗教原理を教示する、マインドコントロール化するのではなく、宗教の持つ意味を教育するという事です。ご承知のとおり、年号ですが、西暦といかにも国際的のような様相を持ち、進歩的文化人といわれる人の使用年号ですが、これはキリスト生誕を紀元とする正確に言うとキリスト教暦です、従って、神の声を誰が伝えたかによって、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という宗派の違うところでは、イスラム暦はムハンマドのヒジュラ、メッカからメジナ移動を紀元、ユダヤ暦は神が世界を創世した日が期限とした年号というように使う年号は違います。そういう意味では、元号は天皇と結びついているからと拒否し、西暦を使うという人は本人の意思の如何に関わらず、キリスト教徒というレッテルを貼られるのです。宗教に無知なこういう初歩的な事が日本国に欠ける教育、宗教教育の実態です。クリスマスや赤十字のシンボルも宗教対立です。隣国の儒教は秩序の絶対化の宗教です、ですので親の中国、兄の朝鮮半島、弟の日本という事で日本は従う事が必要なのです。ぜひこうした実状を教えていただきたいと思います。


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プロフィール

佐竹敏彦(さたけとしひこ)

田舎の宝を取り戻す!

昭和26年7月11日生まれ、上ノ加江小中学校、須崎高等学校、高知大学卒業。高知市役所に35年勤務。

高知市社会福祉協議会の職員としての経験やノウハウを活かし生まれ故郷中土佐町の発展を目指す。

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